田中裕二の野球部

爆笑問題の日本史原論とは?

1999年1月より雑誌「ダ・ヴィンチ」にて大好評連載だった「爆笑問題の日本史原論」が、待望のネット限定配信!爆笑問題の視点で、日本の歴史に新たな1ページが刻まれる!?(月一回更新)

テンションそのままで、内容はよりディープに限定配信!

忠臣蔵編・第15回
●寺坂吉衛門・三村次郎

田中 : 
今日取り上げる二人は、四十七士の中でも最も身分の低かった二人だ。
太田 : 
AKBでいうならアンダーガールズだな。
田中 : 
いちいちAKBで考えなくてもいいんだよ!
太田 : 
そういえば、大石内蔵助って実はCG合成だったって話があるよな。他のメンバーのそれぞれ良い部分を合成してつくったって。鼻が堀部安兵衛で、口が大石主税で、輪郭が原惣右衛門で、目が吉良上野介だったって。
田中 : 
江口愛美か!そんなわけねえだろ!しかも何で吉良まで入ってるんだよ!全然関係ない話になっちゃったよ!まずは、寺坂吉衛門だ。この人は四十七士の中でただ一人の生き残りっていうことで有名だよね。
太田 : 
“人類生き残り研究会”の会長だったんだよな。
田中 : 
それは俺の親父だよ!恥ずかしいツッコミさせるな!俺の親父はちょっと変わり者で何年か前から環境問題なんかを憂えていて、そういう団体つくって活動してるけど、ここでは関係ない!もともとこの人は、四十七士の中でもっとも身分が低い陪臣という立場だった。陪臣っていうのは、家来のそのまた家来ってことなんだ。
太田 : 
俺にとってのお前みたいなもんだな。
田中 : 
いつ俺がお前の家来になったんだよ!
太田 : 
いや、家来の家来だよ。
田中 : 
もっと悪いよ!俺の上に誰がいるんだ!
太田 : 
元「5番6番」の猿橋。
田中 : 
誰も知らねえよ!解散したうちの若手じゃねえか!しかもあいつの家来じゃないし!寺坂は8歳の時に吉田忠左右衛門に奉公に入り、27歳でお抱えの足軽になったんだ。四十七士の中では一番身分が低く、給与も一番安かったんだ。

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